本項では、2017年4月に日本で発生したマストドンブームについて扱う。
mastodon.socialの最古のトゥートは2016年5月16日[1]であり、遅くともその時期には現在につながるマストドンの実装が存在した。しかし、その存在が知られるようになったのはかなり先のことであり、2016年11月に英語圏のメディアが記事にした[2]ときも反応は薄かった[3]。
マストドンと同じくOStatusを用いる分散SNSであるGNU socialについては、2016年11月に川奈清 (kivantium) が紹介した[4]ことから、日本語圏で知られるようになった。2017年1月には墓場人夜とLGBTPZN支持者らがFreezePeachを使い始めた。
2017年4月には、まず海外でマストドンの利用者が急増。インスタンスの設立も相次いだ。2017年4月4日の記事[5]が、海外におけるマストドンブームのきっかけになった[6]と見られている。この時期に、日本ではmastodon.nil.nu、mstdn.maud.io、mastodon.juggler.jpなどが設立された。
日本におけるマストドンブームの象徴とも言えるのが、2017年4月10日の遠藤諭の記事[7]である。この記事をきっかけにマストドンを知った者も多く、その影響力から遠藤砲というスラングも生まれた。遠藤諭の記事は、英語圏におけるマストドンの大流行を受けて書かれたものである。
急激なブームを受けて、mastodon.socialがユーザー登録を停止したため、この時期にマストドンを知った日本語圏のユーザーはmastodon.cloudに流入した者が多い。mastodon.cloudでは日本語圏のユーザーが独特な文化を作り上げ、その痕跡はこのマストドン日本語ウィキにも色濃く残されている。
ぬるかるがマストドンに着目したのも、遠藤諭の記事がきっかけである[8]。ユーザー数の増加に伴い、mstdn.jpは4月15日にサーバーの移転とデータベースのリセットを行った。mstdn.jpはユーザー数、トゥート数ともに世界最大のインスタンスになった。
4月14日にPawooが、4月19日にfriends.nicoがオープンすると、いずれも活況を呈し、mstdn.jpとあわせて「三大インスタンス」と呼ばれる状況が生まれた。
インスタンスの開設直後には、ローカルタイムラインの流速が、mstdn.jpで11,000トゥート/日、Pawooで8,000トゥート/日を超える[9]など、活況を呈した。人間が目視できないほどの流速を誇るタイムラインは流しそうめんと称された。
この時期に膣や脱糞などのインターネットミームが生まれ、多くのユーザーが熱狂した。
マストドンのブームに乗って誕生したサードパーティーのウェブサイトのうち、特に登場が早かったものは、以下のものが挙げられる。
この時期に設立された、マストドンに関連するニュースサイトには、以下のものがある。
この時期に発売された関連書籍は、以下のものがある。
マストドンのブームに乗って開催されたイベントには、以下のものがある。
ローカルタイムラインの流速で見る限り、2017年6月中旬にはブームが終息[15]し、その後は安定期が続いているとみられる。
2017年6月中旬にマストドンブームが終息したとの解釈に立つならば、以下の活動はいずれもブーム終息後の出来事である。
2017年8月28日、Twitterにおける絵師の凍結問題をきっかけにマストドンの利用者が急増[18][19][20][21]。一時的にではあるが、2017年4月のブームの再来を思わせる活況を呈した[22]。
2018年8月15日、TwitterにおいてユーザーストリームAPIが廃止されるのに伴い、ストリーミングAPIを搭載しているMastodonの、特にmstdn.jpやPawooをはじめとする日本語圏インスタンスにおいて新規ユーザー・アクティブユーザーがともに大量増加し、流速が2017年4月のブーム時にみられた速度にまで活性化した[23]。